前回の記事では、耕作放棄地や農地を活用しようとしたとき、
「何に使うか」を考える前に、「すでに制度や区分によって前提条件が決まっている」
という構造を整理した。
では、次に浮かぶ疑問はこう。
なぜ、その前提はここまで厳しくなったのか?
なぜ、農地転用そのものが「難しい」「時間がかかる」「前向きに進まない」と言われるようになったのか?
その背景をたどっていくと、必ず行き着くのが、かつて農地転用の中心にあった太陽光発電(ソーラー)の時代だ。
耕作放棄地にソーラーを設置する。
一見すると合理的だし、国策とも重なるし、実に多くの地域で進められてきた選択肢だった。
しかし、その流れは今、明らかに変わっている。
制度が急に変わったわけではない。
だが、地域と行政が農地転用を見る「目線」は確実に変化してきていると思う。
本記事では、なぜ農地転用=ソーラーだった時代が生まれ、なぜそれが受け入れられにくくなっていったのか。
その過程を振り返りながら、現在の農地転用が置かれている「空気」──つまり、地域や行政の受け止め方の変化──と、その「前提」を整理していく。
※この記事は「耕作放棄地の現実を見つめる」全3回連載の第2回。
農地転用=ソーラーだった時代──なぜ太陽光は一気に広がったのか

耕作放棄地や農地の転用を語るとき、ここ十数年で最も多く選ばれてきた用途は、間違いなく太陽光発電(ソーラー)だろう。
背景には、国の再生可能エネルギー政策がある。
固定価格買取制度(FIT)の導入により、発電した電気を一定期間・一定価格で買い取ってもらえる仕組みが整い、太陽光発電は「事業として成立しやすい」存在になった。
耕作放棄地との相性も、当時は良いと考えられていた。
農業として使われなくなった土地に、建物を建てるわけでもなく、比較的短期間で設置できる設備を置く。農地を完全に潰すわけではない、という側面もあった。
実際、多くの地域で、「草が生い茂るよりは、発電した方がいい」「地域に新しい収入源ができる」という前向きな期待とともに、ソーラーは増えていった。
もう一つ大きかったのは、”置ければ成立する”というシンプルさ。
発電設備は無人で稼働するし、人が出入りする必要もない。農地としての管理や、周辺との日常的な関係調整が少なくても、事業としては回る。
そのため、農地の利用方法として「ソーラーなら可能性がある」という判断が広まりを見せた。
ここで重要なのは、この流れ自体が、当時としては決して不自然ではなかったという点だ。
制度、政策、社会的な要請など。それらが重なった結果として、農地転用=ソーラーという構図が生まれた。
しかし、この“分かりやすさ”こそが、後に別の課題を生むことになる。
環境・管理・廃棄という“後回しにされた課題”

ソーラーが急速に広がっていった一方で、当初はあまり表に出てこなかった問題も、時間とともに少しずつ可視化されていった。
まず挙げられるのが、景観の問題。
山裾や集落近くの斜面、これまで畑や田んぼだった場所に、一面のパネルが並ぶ光景は、地域によっては強い違和感を生んだ。
「景色が変わってしまった」
「観光地としてのイメージが損なわれる」
そうした声が、少しずつ聞かれるようになった。
次に、管理の問題。
設置当初は整備されていた設備も、年月が経つにつれて、雑草が伸び、フェンスが壊れ、「誰が管理しているのか分からない」状態になるケースが出始める。
特に農地転用された土地の場合、もともと周囲は農地や集落であることが多い。管理されない設備は、景観だけでなく、防災や防犯の面でも不安の種になる。
台風でパネルが飛散する、雑草が隣地に侵入する、人が近づけない空間ができる──。日常の安心を脅かす存在にすらなる可能性まで出てくる。
そして、最も後回しにされてきたのが、将来の撤去・廃棄の問題。
ソーラーパネルには耐用年数がある。数十年後、発電を終えた設備を誰が、どの費用で、どのように撤去するのか?。
環境省の推計によれば、2030年代後半には、年間数十万トン規模の太陽光パネル廃棄物が発生すると見込まれている。
当初の計画では、この点が十分に議論されないまま進んだ案件も多いはず。
設置時点では成立していた事業が、時間の経過とともに「負の遺産」になりかねない。その現実に、地域も行政も、徐々に気づいていった。
重要なのは、これらの問題が一気に噴き出したわけではないということ。
一件一件は小さく、見過ごせるように見えた違和感が、積み重なっていった結果として、農地転用を見る目線が変わっていった。
この経験こそが、地域と行政が「学習」していくプロセスの始まりだった。
地域と行政が学んでしまったこと

ソーラーをめぐる一連の経験を通じて、地域と行政は、ある意味で「学んでしまった」。
それは、一度転用された土地は、簡単には元に戻らないという現実。
当初は、「発電が終われば撤去すればいい」「元の農地に戻せばいい」と考えられていたケースもあったかもしれない。
でも実際には、設備撤去費用、土地の劣化、管理主体の不明確さなどが重なり、簡単に”元通り”とはいかない事例が目立ちはじめる。
こうした状況は、まず地域の不安に現れる。
「誰が最後まで責任を持つのか?」
「将来、放置されるのではないか?」
「次は自分たちの近くに来るかも?」
それら不安は、単なる反対意見だけでなく、農地転用そのものへの警戒感まで出始めるようになる。
一つの失敗例が、地域全体の記憶に刻まれる。そして、その記憶は次の案件を判断する「基準」になっていく。
行政側も、同様の変化を経験している。
当初は制度上問題がなければ進めていた案件も、地域との摩擦や、事後対応に追われるケースを重ねる中で、「形式的に通す」ことのリスクを意識せざるをえなくなる。
窓口での対応は慎重になり、審査に時間がかかるようになり、確認事項も徐々に増えていく。
結果として、農地転用を見る目線は、「制度上可能かどうか」から、「将来にわたって地域にとって妥当かどうか」へと移っていく。
ここで重要なのは、これが特定の事業や技術への否定ではない、という点。
ソーラーが悪だったわけではない。ただ、その過程で生じた課題を通じて、地域と行政が「慎重にならざるを得なくなった」という事実がある。
これは、ソーラーだけの話ではない。最近増えてきている蓄電池であれ、或いはそれ以外の用途であれ、「後回しにされた課題」が可視化された経験は、すべての農地転用に影を落としている。
その結果、現在の農地転用は、以前よりも時間がかかり、以前よりも説明を求められ、以前よりも「何を置くのか」が問われるようになった。
この空気の変化を理解しないままでは、どんな新しい活用案も、なかなか前には進まないのではないか。
国の方針転換と、農地転用の現在地

地域や行政の空気の変化と並行して、もう一つ大きな流れがあった。
それが、国のエネルギー政策と農地転用を取り巻く方針の変化。
太陽光発電が急速に広がった背景には、固定価格買取制度(FIT)による強力な後押しがあった。しかし、その後、国は再生可能エネルギー全体のあり方を見直し始める。
発電量の増加、系統制約、国民負担としての賦課金、そして全国各地で表面化した環境・景観・管理の問題・・・。
これらを受けて、「量を増やす」フェーズから、「質を問う」フェーズへと、政策の重心は少しずつ移っていく。
その結果、農地転用に対しても、以前のような”勢い任せ”の判断はされにくくなった。
制度自体が大きく変わったというより、運用が厳格になった、と言ったほうが正確かもしれない。
形式的に条件を満たしているだけではなく、その土地で、その用途を選ぶ必然性があるのか?将来にわたって、地域にとって受け入れ可能なのか?
こうした点が、より強く問われるようになっているようだ。
具体的には、農業委員会での審査が長期化したり、近隣住民への説明が必須になったり、撤去費用の積立を求められたりするケースが増えたとのこと。
農地転用は、「何を置いてもいい」制度ではない。
むしろ今は、「なぜそれを置くのか」が説明できない用途ほど、通りにくい時代に入っている。
この流れの中で、太陽光発電は一度、農地転用の主役の座を降りた。それは否定されたからではなく、次の選別の段階に入った、という表現の方が近い。
では、その先にあるものは何か。ソーラーに代わる「次の正解」は、すでに決まっているのだろうか。
その問いに対して、現時点での答えは、「まだ判断の途中にある」というのが実情だろう。
だからこそ、次に問われるのは、蓄電池という存在が、この流れの中でどう見られているのか、という点になる。
では、蓄電池はどう見られているのか

太陽光発電をめぐる一連の経験を経て、農地転用を見る目線が変わった今、次に名前が挙がることの多い存在が、事業用の蓄電池だ。
ただし、蓄電池は、ソーラーの「代替」として単純に置き換えられる存在ではない。
太陽光発電が「発電設備そのもの」だったのに対し、蓄電池は電力をため、調整するための設備だ。
系統との関係、周辺インフラとの接続、運用の仕方によって、その意味合いは大きく変わる。
再生可能エネルギーの不安定性を補う調整力として、あるいは電力需給の逼迫時に供給を支える役割として──。蓄電池の位置づけは、エネルギー全体の中での「機能」として評価されるべきではないか。
この違いは、行政や地域の受け止め方にも影響している。
ソーラーのように「置けば終わり」ではなく、電力系統との連携や、運用主体の明確さが前提となるため、事業の継続性や管理体制が、より強く問われる傾向にある。
一方で、「また新しい設備が来るのではないか」「結局、後で問題になるのではないか」という警戒感が、完全に消えているわけではない。
ソーラーで経験した景観問題、管理不全、将来の撤去不安──これらの記憶は、新しい用途に対しても慎重な目線を生んでいる。
現時点では、蓄電池は歓迎も拒絶もされていない、まだ”判断途中”の存在だと言える。
だからこそ、蓄電池用地の検討では、制度の適合性だけでなく、「なぜここなのか」「なぜこの用途なのか」という説明の重みが、これまで以上に問われる。
立地の必然性、地域への影響、事業の持続性、撤去までの計画──。これらを丁寧に説明できるかどうかが、判断の分かれ目になっている。
農地転用が難しくなった今、蓄電池が次の主役になるかどうかは、まだ決まっていない。
それは、用途そのものではなく、立地の妥当性と、地域との関係性によって、一つひとつ判断されていく段階にある。
では、こうした状況の中でも、実際に「動く土地」はあるのだろうか。制度上は厳しく見えても、現場を歩くことで見えてくる余地はないのだろうか。
次回は、制度と時代背景を踏まえた上で、三豊という地域で、実際に足を運び、情報を集める中で見えてきた現実的に動かせそうな土地の条件について、現場の視点から整理していく。
次回予告
耕作放棄地は「想い」だけでは動かない【3】
──それでも土地は眠らせない、三豊で見えてきた現実的な活用の芽
この記事は「耕作放棄地の現実を見つめる」全3回連載の第2回です。

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